3.11ですね。
Twitterのタイムラインに「ヤフーの検索で災害募金ができる」というツイートが流れて来て思い出しました。
今日はあの東日本大震災(正確には東北地方太平洋沖地震というようですね)のあった3月11日でしたね。
ネットだけでなく、テレビでも被災を振り返る特番がたくさんやっていました。
ワイは東海地方在住なので被災の被害は大したことがなかったのですが、色々と思い入れのある日でした。
今回は7年前の今日、H23.3.11を振り返ってみたいと思います。
東日本大震災
東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。
発生した日付から3.11(さんてんいちいち)、311(さんいちいち)と称することもある。
まあ言うまでもないでしょうね。
地震のマグニチュードもすごかった、その後の津波も酷かった、原発の二次災害も悲惨だった。
亡くなられた方が1万5千人を超え、行方不明の方が2千5百人を超え、重傷を負った方が6千人を超えているということです。
現実味がなくなってしまう規模の数だと改めて思いました。
テレビでは津波が押し寄せいている映像が流れていました。
改めてみると現実に起きたとは思えない、まるで恐怖が具現化したような光景を映した映像でした。
自分は東海地方に住んでいるので、繰り返す余震や本震による大きな揺れは経験しましたが、幸いなことに大きな被災はありませんでした。
本当にありがたいことです。
亡くなられた方には、心からのご冥福を。。。
あの日、あの時、どこで、なにを
平成23年3月11日金曜日、はじめの大きな地震が発生したのが14時46分ごろだったそうです。
その日、その時間、社会人なら仕事をしている時間だと思います。
ワイも当時は正社員として就業していましたが、その日、その時間は、いつもとは違う場所にいました。
そう、病院のカウンセリングルームでカウンセラーさんから質問攻めを受けている最中でした。
鬱の症状が出始め、会社に行けなくなり、この分野ではそれなりに経験を積んでいらっしゃるお医者先生がいる病院に、はじめて来たちょうどその日だったのです。
そのお医者先生と病院を調べて診療の予約を入れてから、たしか2、3週間後の初診だったと思います。
そこそこ大きい病院だったせいか、患者さんもたくさんいたのもあり、予約からかなり待たされました。
すでに辛い状況なのにそんなに待たされるのはかなり辛いです。
もしこれから心療内科や精神科にはじめて行く方がいたら、ほんとに早めに予約することをオススメします。
もしくは個人でやっているような町医者さんの中で良さそうなところ。
それでも初診は待たされるかもしれませんけどね。
初診はやることも多いので時間がかかるせいか、1日の枠が決まっているようです。
そんなわけで、初診だったワイは先生に診てもらう前に、カウンセラーさんからいろいろ質問をされている最中だったわけです。
先生が全部やってたらホントに時間が足りないからでしょうね。
仕事のことや性格診断、家族構成や家族の病歴、30分から1時間ぐらいかけて質疑応答をしたと思います。
その途中でした。
カウンセリングルームはテーブルが1つに椅子が4つの小部屋で、扉は横開きのタイプでした。
会話が他人に聞かれるなんてありえないので、当然扉は閉められていたのですが、大きな揺れが始まりました。
結構長い揺れだったので、カウンセラーさんが
「これはちょっと危なそうですね、ごめんなさい、扉を開けておいてもいいですか? 開かなくなったら大変なので・・・」
と言いました。
正直、他人に自分のことを聞かれたくはなかったので、カウンセラーさんに話すのも本当は嫌だったぐらいなのですが、しかたなく承諾しました。
カウンセラーさんとのやりとりが終わる頃にはクタクタになって気分も悪くなっていました。
待合スペースで待つこと数十分、お医者先生のいる診察室の壁に設置されているモニターに自分の受付番号が表示されました。
ノックをして診察室に入ると、本当に異様な光景が待っていました。
扉を開けた正面には机があり、机を挟んでお医者先生が座っていました。
診察室はそんなに広くない比較的狭い部屋で、正方形の部屋でした。
が、部屋の四方の壁には、びっしりと椅子が列べられ、そこには若い白衣を来た男女が座っていました。
部屋にいた10人前後の白衣の人たちが、扉を開けたワイに対して一斉に視線を向けて来ました。
お医者先生「びっくりされたかもしれませんが、この周りの人達は研修で同席させて頂いているだけなので、気にしなくていいですよ」
ワイ『何だこの空間は・・・気にしないなんてムリだろ・・・誰だこいつらは・・・クソ・・・』
そこそこ実績のあるお医者先生だったのが仇になったのでしょうか。
多分研修医さんたちがちょうど研修で同席していたのでしょう。
すごい人口密集率の部屋でした。
ただでさえカウンセリングルームでの質疑応答や地震でさらにストレスを受けていたのに、さらにストレスがかかっていました。
部屋に入室して用意されていた椅子に座った時には、すでに身体は重く、背筋は折れ曲がり、息が上がって口呼吸でハァハァと荒い呼吸になっていました。
(本当にとんでもない状況だったので今でもよく覚えています)
おそらくさっきカウンセラーさんが書いたであろう資料を口に出して読んだ後、顔をあげてワイを見たお医者先生が言いました。
お医者先生「つらそうだねぇ」
ワイ『あたりめぇだろ・・・なんだこれは・・・』
お医者先生「少しの間仕事お休みしようか」
脈や血圧を測ったりした後、仕事を休職することを奨められました。
その間、周りにいた白衣の人たちは一言も声を発せず、視線意外ワイにはなんの干渉もしてきませんでした。
ワイも息が上がっているせいか、声を発することが出来ず、うなずくことでそれを受け入れました。
その後、休職することになったわけですが、その時の診断書が出てきました。
診断書を受け取れるまでには結構時間がかかり、結局診断書が貰えたのはさらに2週間ほど経った後でした。
その診断書は会社に提出しましたが、その前にコピーを取っていたのが出てきました。
せっかくなのでお見せしたいと思います。
傷病名はお医者先生の話では「鬱病」と書くと後々の復職に響いたりする可能性もあるから、軽めの表現の「自立神経失調症」と「うつ状態」にしてくれたようです。
当時はまだ「仮面うつ」という言葉がテレビを賑わしていた程度の時代だったので、「鬱病」と書くよりは「自立神経失調症」としておいた方が印象が悪くならなかったのかもしれません。
でも「うつ状態」って言われても素人には「うつ病」と「うつ状態」の違いなんてわからないよな、と思えてきますね今見返すと。
あれから7年・・・
早いもので、そんなことがあってからもう7年です。
あらからズルズルと、まだいろんな不調を引きずってしまっています。
うつは再発率がとんでもなく高いですし、加齢による身体の不調もどんどん出てくるでしょうし、もうこれ以上調子が上がることはないのかもしれません。
特にワイは冬期鬱の傾向が高いので、毎年冬は危険がいっぱいな感じです。
テレビ報道の話では、東北の被災地では仮設住居も取り壊され、たくさんの人達が新たな生活を始めているそうです。
ワイもそろそろちゃんと立ち上がってしっかりした生活をしてきたい、そんなことを思う3.11でした。
それには今の自分に合う歩調で歩く必要があるんでしょうけどね。
その歩調が7年経った今でもよくわかりません。。。
しかばね一葉