タイトルからは重そうな雰囲気が漂っていますが、全然そんなに重い内容ではないですから帰らないでくださいね。。。
あなたは死にたいですか?
冬は希死観念が強くなるように思っています。
実際、冬季うつというものもありますし、気温が下がって体温が奪われてしまえばそれだけ生命の維持にはコストがかかってきます。
冬が強い人は良いですね・・・。
冬は冬ごもりして冬眠したくなりますよね・・・。
まず、不治の病や難病に侵されている方は今回は除外して考えさせてもらいますね。
それらの場合の命の重さはワイなんかでは到底計り知れないものだからです。
はい、今回は突発的な希死観念などについて思ったことをつらつらと書いていきます。
誰でも1回は思うことがあるんじゃないかな
・フラれた
・ギャンブルで負けた
・会社をリストラされた
・日常系アニメが終わってしまった
・寝ている間に顔面の上をゴキブリが通過していった
・・・などなどなど。
精神的苦痛を受けた場合に、突発的に「も~無理!」って思った事、誰もが一度は経験しているのではないでしょうか。
この時仮に、「死にたい」と思ったとしても、本当の意味で死を望んでいる人なんてほぼいないでしょう。
もう少し言えば、その時の出来事や、今置かれている状況、今後予想される事態、そんな到底対処できそうにない現実を前にした時に、”それ”から逃げるための言葉として「死にたい」という言葉をチョイスしただけだと思うのです。
よくある話で、「死にたい・・・」と相談してきた人に対して「死んじゃダメだ! 死んでなんになるんだ!」みたいな説得をするドラマとかありますよね。
最近は見なくなりましたかね?
昔のドラマとかではよくありましたよね。
この展開について言いたいことは、「全くなんの役にも立たない説得だな」ということです。
もちろんその説得にも前後で色々他の説得してるかもしれませんけどね。
ここだけ抜いたらの話ですよ。
さっきも述べたように、本質的に死を望んでいる人なんてほぼいないと思っています。
だって死自体を望んでいるなら相談もしないしつぶやいたりもしないですよ。
実行すれば望みがかなってしまうのだから。
問題なのはその背景にある理由だと思います。
飛び降りを止められた場合、もう一度実行するケースは少ない
電車のホームで飛び降りようとしている人を間一髪で止める事が出来た場合、その人が再度飛び降りを行うことは少ない、という話を聞いたことがあります。
これは電車のホームに限ったことではないと思いますが、本当に自分ではもう後には引けないような状況に追い込まれて、奮ってはいけない最後の勇気を振り絞って行動に移そうとしたのを止められた人。
それはそれは壮絶な状況なのでしょう。
止められた後のケアも行政やNPOなどが手厚く親身に対応してくれるのでしょう。
自分だけではなんともならなくても、誰かの助けがあればなんとか出来る、ということなのではないか、そんなふうに思います。
実際、人は追い詰められてくると視野が狭くなり、考えもまとまらなくなります。
そこまでの状況に行ってしまう前に、まずは落ち着くこと。
なんかホームの椅子に座ったら動物か何かの心がやすらぎそうな写真を強制的に見せらせるのが一時話題にあがりましたね。
その絵を見て一瞬でも落ち着ければ、踏みとどまれるかもしれませんからね。
ストレス発散は大事
本当に大事だと思います。
・カラオケをする
・スポーツをする
・好きなものをお腹いっぱい食べる
・おもしろい映画やアニメをみる
・顔の上を通って行った憎きゴキブリを見つけ出して虫ケアする
なんでもいいと思います。
ストレス発散になるとか考えずに、自分がホッとする時間を作ったり、他のことを何も考えずに没頭して楽しめるもの、そういうものを定期的に行う、これがとても大切なんだと思います。
落ち着けるものと、楽しめるもの、これをいくつか準備して定期的に自分をほぐしてみてはどうですか。
自分一人でダメなら
自分の力だけではどうにもならない場合はもう誰かを頼りましょう。
その道のプロでもいいでしょう。
友達でもいいでしょう。
誰もいなければワイでも話ぐらいは聞けるかもしれません。
一人でがんばりすぎてはダメですよ。
しかばね一葉